いつもと異なるコミュニティに身を置くこと

こんばんは、ゴス山です。


修学旅行までもう2ヶ月を切りました。
そろそろ、班決めやら部屋決めの時期ですかね。
普通科はいろいろと大変そうだなぁ(遠い目)

今回はいつもと異なるコミュニティに身を置くことについて話したいと思います。


いつも同じコミュニティにいるのは楽 

班や部屋を決めるとき、たいていの人がいつも仲良い人やその友達と同じグループに入りたがろうとします。女子はよく群れるよねーと男子が言ってるのをたまに見かけますが、男子も変わりません。

なぜ、こうなるのか。それは言うまでもないですが、楽だからですよね。仲良い人は気の合う人ばかりですし、お互いのことを深く知っているので遠慮がちに喋る必要もありません。また、自分の苦手な人と同じグループに入るのを必ず避けられたりするのでローリスクハイリターンです。

特に、部屋なんかは班と違って話すのがメインになりますし、修学旅行の夜といえば、いわゆるアレやコレを話すものなのでより仲の良い人と一緒にいたいものです。


でも、いつも同じでいい?

だったら、いつも同じコミュニティにいてよいのでしょうか。私は違うと思います。なぜなら、いつもと違うコミュニティにいると

自分を知ることができる

からです。「相手の意外な側面を見つけられる」といったものもありますが、当たり前なので割愛します。

生物は自身にとって不快な環境に置かれ、それが許容量を超えたとき、その環境を変えるため新しい土地へ向かいます。しかし、どうしてもその環境から離れられないときには
自身を変化させます。
いわゆる、進化です。

これは先ほどのコミュニティの話にも当てはまります。

たいていの場合、人は不快な環境、すなわち気の合わない人などといるとき、その環境を変えるために、気が合う人のコミュニティに身を置きます。これではいつまでも自分の新たな側面を見つけられません。

しかし、不快だと感じたときもその環境の中に身を置いてみる。すると自らにいろんな側面を見つけることができます。普段あまり話さない人から意外なことを言われたことってありませんか?あれ、コレっておかしい考え方なのかな?ってなったときありませんか?しかし、気の合う人との会話で自分の価観のズレや特徴って認識しづらいですよね?


結局、なにが言いたいのかと言うと...

もちろん、同じコミュニティにいるのは楽ですし楽しいです。多くの時間を費やしてそこで楽しむのは良い思い出にもなるでしょう。

しかし、それだけでいいのかな?と。普段とは違うコミュニティに身を置いて、自分の意外な側面だったりを知ったりする。これができる方法もまた人間関係の中にあるのではないかと考えました。
 
修学旅行もちょっと違ったメンバーで行こうかな?とか考えてみるのもまた、おもしろいと思いますよっ!部屋決めでもあいつどんな奴なんだろうと思ってる人に声をかけたら、自分にたいして意外な印象を抱いているかもしれませんよっ!









まあ、部屋に関してはうちのクラスの女子関係ないんですけどねwwwwww


最後までありがとうございました。












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